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エイプリルフール2010顛末記
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ウソの効用とエイプリルフール
エイプリルフールとウソのような本当の話
ウソの効用とエイプリルフール
エイプリルフールとウソ
ジャーナリズムの反乱
ビバ!エイプリルフール
エイプリル・フールの起源
「2000年強盗団」に新たな動きをキャッチ
外電に弱い日本の大新聞!
史上最低の遊園地は日本広告業界きっての大快挙!
エイプリル・フール小咄集
ウソのパラドックス
謎のTV番組『第三の選択』と火星人襲来のウソ


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2003.3.24(月暦:二月二十三日)

エイプリルフールとウソ

 一年に一度、この日の午前中は害のないうそをついていい日というエイプリルフール。英語でAll Fool Day、中国語で万愚節、仏語でPoisson d'Avril(4月の魚)、日本語で四月馬鹿。
 因みにエイプリルフールとは「担がれた人」のことをいう。
 昨今、日本では政治家の嘘や、一級建築士の嘘など、笑えない嘘がはびこり、エイプリルフールの習慣も色あせた感が否めない。本家のフランスやイギリスもインターネットの普及で膨大なウソネタが横行し、モチベーションが低下したようで、そう「流行らなく」なってきたという。
 しかし、しかし、である。人を貶めようとする嘘や見栄、過度の自己顕示欲、誤魔化しとしての嘘は論外だが、ウソが醸し出すセンスやシャレ、その奥深さはなお捨てがたい。
 あるコンサートで船村徹は作詞家を評して、「ウソつき」だという。美空ひばりの復帰第一作として大ヒットした「みだれ髪」の作詞は星野哲朗である。塩屋埼の風景を知り尽くしている船村徹は星野哲朗に、「なんにもないところだから行かなくてもいいよ」といったそうだが、星野哲朗は敢えて「いわき七浜」の塩屋埼灯台に立ち「みだれ髪」をものにした。船村徹曰く、なんにもない塩屋埼であんなに美しい詞を書き、しかも身を細くした女の二重の帯が三重に巻いてもまだ余るという。よく書けるよねというところだが、女の深い哀しみが伝わって余りある。この話を聞いた某女史は、私の場合は、「食欲の秋!二重の帯を一重に巻いても足らぬ帯?」とのたもうた。
 もっとも作詞家は作詞家で、作曲家は嘘つきであるという。その言い分は「例えばスリーコーラスあって一番と二番の歌詞が違うのに曲は同じ」だからだという。この言い分を借りれば、同じ曲なのに詞に沿って歌い分けている歌い手も大いなるウソつきになってしまう。

 良寛は「戒語」の中で 不妄語(ふもうご:ウソいつわりを言わぬ)・ 不綺語(ふきご:コトバをあまり飾らぬように)・ 不悪口(ふあっく:他人の悪口を言わぬ)・ 不両舌(ふりょうぜつ:人に告げ口をしない)と書いているが、確かに言葉は饒舌になればなるほどウソが混じる。それを嫌った良寛は最後には言葉を発することすら否定せざるを得なくなったという。それに比べて、ますます饒舌に言葉を発する井上ひさしは、百万のウソを駆使して一つの真実を語ると言って憚らない。(井上ひさし著『私家版文章読本』)
 ウソとはなんだろう。ウソと一口で言っても様々なウソがあるし、真実とは何かと考えると、この問題は一筋縄ではいかない。また「私は嘘は申しませんと嘘をつく」とあるように、世の中に嘘をついたことがないという人はいない…はずだ。
 古今東西故事諺から拾ってみた。
 平賀源内は「ウソでまるめた世の中で、ただひとつの真実は、生まれたものが、やがて死ぬということだけだ」(談義本『根南志具佐(ねなしぐさ)』)といい、狂言師・戯作者 太田南畝は「まことはうその皮、うそはまことのほね、迷えばうそもまこととなり、悟ればまこともうそとなる」(『四方のあか』)
 ほかにも「嘘は日本の宝」「嘘をつかねば仏になれぬ」「実は嘘の奥にあり」という諺もある。
 釈迦は法華経の中で「方便」と称して、弟子に真実の法を悟らせるため、敢えて真実を述べず、成仏を妨げる弟子達の思いあがりや思い込みを打破したという。一般に使われる「ウソも方便」とは少々ニュアンスが違うようだ。
 小説家や詩人、芸術家なども、一つの真実、感性を伝えるために、修辞やレトリック、暗示など、又は非日常の世界を駆使してもう一つの世界を創造してみせるのだ。
 江戸いろはカルタの(う)は、「嘘からでたまこと」。はじめは嘘のつもりであったことが、結果的に、あるいは、はからずも本当となることだが、これはついた方もつかれた方も想定外の展開だ。嘘のような本当の話もあれば、まことしやかな嘘もある。いずれにしても、嘘も真実も片方だけでは成り立たない。加速度的な情報過多の時代を迎えた今、ますます嘘偽りがはびこる世界となり、真実は深い霧の中に消えようとしている。ウソが真実の扉を啓く……かも知れない。(文中敬称略)

※尊敬する作家の井上ひさし氏が肺ガンのため逝去した。1970年代半ば、演劇に興味を持った私にとって氏の作品群は作劇のバイブル的存在であった。ご冥福をお祈り致します。

2003.3.24(月暦:二月二十三日)

ビバ!エイプリルフール(エイプリルフールあれこれ)

 エイプリルフールは酔いどれ集団のほろ酔い通信にとってはまさに面目躍如、お祭り騒ぎである。
 筆者の乏しい知識の中から拾った四月バカのいくつかを紹介しよう。
 ナポレオンがワーテルローの戦で大敗北を喫した遠因はエイプリルフールだったという逸話がある。ナポレオンが美人秘書とよろしくやっている時、前線から戦況報告があった。折しもその日は4月1日であったので、その報告を黙殺し、敗北したのだという。もっともコレはかなり怪しい(『話の大事典』(萬里閣)。
 ユーモアと洒落のきつい英国で、ある年の4月1日の朝、国営放送のBBCは「A動物園では人まねをする熊がいて、今日特別公開されます」と報道した。動物園には多くのロンドンっ子が集まり、熊を前に飛んだり跳ねたり踊ったり、ロンドンっ子たちは文字通り踊らされ、後で地団駄を踏んだとか。熊は精巧に作られたぬいぐるみをかぶった人間だったのだ。この大役を仰せつかったのは役者の卵で、この日のためにいかに熊になりきるか血のにじむ稽古を重ねたという。
 1996年、相変わらずイギリスは「サッチャー元首相、駐米大使に?」などとウソ記事を発信した。UPI通信も騙されて世界に配信してしまったとか。このイギリス、過去にもとんでもないウソを配信しては世界を煙に巻いてきた。 1957年にはドキュメンタリー番組『パノラマ』で、スイスでは暖冬と害虫の駆除に成功し「今年はスパゲッティー大豊作」とやらかして、木にぶら下がっているスパゲッティーを収穫し、天日干しにしている様子を放映した。それからはスパゲッティーは木になるモノと思いこんだ人も結構いたとか。
 もちろん、フランスも負けてはいない。1985年、フランスではあの名門新聞「ル・モンド(Le Monde)」紙を模した「ル・モンストル(Le Monde)」が実際にスタンドで販売された。当時本家「ル・モンド」の価格は3フランだったが、この偽物はなんと20フラン、それでも初版7万部を完売し、2万部を増刷したというから面白い。この偽ル・モンドには「要注意!本紙は偽物である、本物に気をつけるべし」と小さく但し書きがあり、全ページ偽記事で満たされていたという。

 1994年の4月1日未明、ホテルや新聞社、大企業のポストにJapan Timesを模した新聞が密かに配られた。一面トップは「関西空港、豪雨のため行方不明」「千葉県のとある国会議員が賄賂を受け取らなかった咎で地検特捜部の家宅捜査を受けた」というものであった。その国会議員は「受け取らなかったのは秘書が勝手に……」と弁明していたとか。とにかくブランケット判全8ページのJapan Timesもどきはエイプリルフールで埋め尽くされていた。朝から電話が鳴りっぱなしとなったジャパンタイムズ社は翌日「この新聞を作った方々を広報部長としてお迎えしたい」とコメントした、とか。
 金と暇と知力の限りを尽くした外国人記者クラブの勇士たちのいたずらであった。欧米人の洒落とユーモアは半端じゃない。
 本家ジャパンタイムズも英文のため、案外知られていないが力作も多い。1984年4月1日、「氷河時代来ると気象機関発表」という見出しで、国際気象協会のO.M.ウィンター会長が東京で記者会見を行ったとその内容を掲載したし、1988年のエイプリルフールでは、「東京ドームを四十メートル移動」とやらかした。内容はドームの一部がむかしの神社跡に張り出していることが発見され、その神社関係者の警告に始まって、移動する方法にまで言及していたという。東京ドーム移動はかなり反響があったようで、ジャパンタイムズは翌2日勝利宣言を出したとか(『エープリル・フール物語』倉田保雄著、1993年、文藝春秋社刊)。ジャパンタイムズの奮闘は別にして、残念ながら日本ではエイプリルフールの武勇伝は少ないが(日本のエイプリルフールの逸話は機会があれば後日書いてみたい)、野次馬通信は、奇しくもこのJapan Timesもどきが暗躍していた同じ時期、エイプリルフールを特集した。その規模と質は足元にも及ばないがそれなりのものができたと自負していた。ビバ! エイプリルフール。

右は1957年イギリスのドキュメンタリー番組『パノラマ』での「スパゲッティ大豊作」のウソ
右は1994年、外国人記者クラブの有志が仕掛けたJapan Timesもどきのトップページ
2003.3.24(月暦:二月二十三日)

エイプリル・フールの起源

 エイプリールフールの起源には諸説がある。その一つが「見せかけの贈り物説」。16世紀半ばまでヨーロッパの元旦は3月1日であったり、3月25日であっり、案外いい加減であった(概ね春分の日や復活祭の日取りが新年の始まりという習慣があった)→※注。フランスでは、3月25日が新年で、それから1週間、春分のお祭りが行われ、その最終日の4月1日には親しい人達の間でプレゼントを交換する風習があった。しかし、1564年、シャルル九世が新暦を採用し元旦を1月1日とした。しかし、その後も旧暦のお祭りを偲んで、見せかけの贈り物や宴会で大騒ぎしたことからエイプリ・フールの風習が始まったという説。
 もう一つはインドの揶揄説で仏教徒達は3月の末頃から1週間ほど断食することが習わしになっていて、明けた4月1日頃みんな空腹で頭がボーっとなっていることをからかったことが西洋に伝わったという説。
 フランスではエイプリルフールのことを「4月の魚(ポワソン・ダブリル)」と呼んでいるが、4月になるとサバが豊漁で、どんなエサにも引っかかることからとか。また、ポワソン(サバ=poisson)が受難(passion)のなまりで、キリストが生前、ユダヤ人に愚弄され、さんざん無駄足をふまされたことを忘れぬための行事だ、など様々な説がある。イギリスでは1687年、コングリーヴの「年老いたひとり者」という脚本にはじめてAPRIL FOOLという言葉が出てきたそうだが、一般的な習慣となったのは十八世紀からで、「All Fool Day(万愚節)と呼ばれている。またスコットランド地方では、間抜け者の代名詞とされる鳥、カッコウを引き合いに出し、「ハンティング・ザ・コーク(Hunting the Gowk)」とか「April Gowks」などとも呼ばれているという。
 残念ながら、エイプリルフールの起源として、これだということを確定はできないようだが、要はだますもだまされるも、馬鹿になって楽しむ文化といえるだろう。そしてこの習慣で蔑むべきは、だまされたといって怒る、いわゆるセンスのない人たちということである。
 因みに、大英百科全書エンサイクロペディアにはエイプリルフールの項に「暦法の誤算にして4月1日は5月1日とすべきもの」とウソ解説が掲載されている。
 この話、ホントだよ。

※注=ユリウス暦ではもともと1月1日が新年であったが、ヨーロッパ各地が新年を1月1日に移行するのは16世紀になってから。

2003.3.24(月暦:二月二十三日)

「2000年強盗団」に新たな動きをキャッチ

 短期金利実質0%時代が到来して久しい。かつて先進諸国の間ではこのような現象は例を見ない。一部取引手数料の問題で逆利ざやが発生する可能性さえ起こりうる。預金をすれば本来利息が付くものだが、現状でもコンマ何パーセントの世界である。これが逆にマイナスになってしまう。時代はどこまでゆくのか。それと併せて2001年にはペイオフ1000万円が実施される。個人レベルで1000万円の大口預金をしている率はそう多くはないが、これが大金持ちや企業レベルになったらどうなるか。いずれにしても大口預金者や企業は深刻な時代を迎えている。
 まず第一につぶれそうな銀行のお金は即刻引き揚げること。一部を郵貯に回すが、郵貯は限度額1000万円である。その上、郵貯も危ないという。実際に郵貯で取り付け騒動が起こった場合そのほとんどに対応できないと言うのである。次に考えることは国債であるが、これにも限度がある。そこで個人はもちろん企業も口座の分散やタンス預金、金庫預金、貸金庫預金を真剣に検討しはじめた。
 そこに目を付けたのが「2000年強盗団」であったが、カード時代などの浸透もあって、現金がなくても買い物や振込ができてしまうから、会社にも家にも現金を置かない、持って歩かないというケースが増えたためか、今の泥棒は現金を盗む腕が鈍ってしまっていた。
 そこで、強盗団は国税庁に目を付けた。国税庁は脱税告発のため、隠し財産を見つけるエキスパートでもある。強盗団の首領はあろうことか「景気浮揚の最大の政策は泥棒を育て大金持ちの金を盗み、その金を使うことだ」と国税庁の現役官僚を説き伏せ、仲間に入れてしまったのである。さらにカード破産など消費癖症候群にかかっている若い女性も仲間に入れ、最強の強盗団ができたと密かにほくそ笑んでいた。
 このスキャンダルを察知した有能な記者が、国税庁の現役官僚に接触することに成功した。現役官僚は匿名を条件に記者にこう語った。
「大金持ちは、現金ベースにすれば総額数十億、数百億円を超える方も相当数います。大金持ちはケチですからそれほどお金を使わないでしょう。また国税庁が摘発して追加徴収をしても脱税告発は一部しかできませんからせいぜい数億円が限度です。しかも金が国に入ってもその金は既得権者の奪い合いになり結局は大金持ちを利するだけ。ところが強盗団がこの金を盗んで山分けするが、「悪銭身に付かず」で、そのほとんどは市場に流れることになるでしょうね。こう考えれば超法規措置として強盗団の要求を飲むことは国策と言えるかも知れません」と語ったとか語らなかったとか・・・。

2003.3.24(月暦:二月二十三日)

外電に弱い日本の大新聞!

「第二次世界大戦中、ソ連シベリア地方チュメニの軍用地下倉庫に閉じこめられた夫婦が倉庫の中で4人の女の子をもうけ、4人は両親の死後も、倉庫にあった肉の缶詰、砂糖、野菜、ミルクなどを食べて45年も生き延び、このほど救出された。倉庫内の灯油を暖房や照明に使ったが、太陽は一度も見たことがなかった」3月29日付けの読売、毎日、産経の大新聞や一部地方紙の三面記事はソ連の地方紙がエイプリルフール向けに発信した記事をそのまま載せたものだった。
 この記事は初めチェメニ市の地方新聞が1990年3月26日に伝えたのを、モスクワ放送が3月28日に放送、それをイギリスのBBCがモニターしてロンドン発の共同通信電で日本へ。これに各紙が飛びついたわけだがその後の続報がないため、モスクワの共同通信に問い合わせるとチェメニ市の地方紙が「あれは市民が新聞記事をウノミにしないためのエイプリル・フール用の冗談」と真相があかされた。日本の各紙は大慌てで、4月6日付で「奇跡の救出作り話だった」(毎日)「45年ぶり4姉妹救出はウソ」(読売)などと訂正記事を掲載した。いかに日本の新聞が裏をとる作業を怠っているか、赤っ恥顛末記でした。

2003.3.24(月暦:二月二十三日)

史上最低の遊園地は日本広告業界きっての大快挙!

 1990年4月1日の朝刊各紙に全頁広告を出したTOSHIMAENには、いきなり大文字で「史上最低の遊園地」と銘打ち、額からだらだら汗を流したお父さんが「来るんじゃなかった!!」と悩み、お母さんは鼻をつまんで「ダッサー」と叫び、お姉ちゃんはふてくされ、弟は涙を流し「パパー。早くお家に帰ろうよ」と言い、一面は徹底した不評ぶりの全頁広告であった。
 広告中央には<としまえん>のロゴが入り、
「だまされたと思って、いちど来てみて下さい。きっとだまされた自分に気づくはず。楽しくない遊園地の鏡として有名な豊島園は、今年も絶好調。つまらない乗り物をたくさん用意して、二度と来ない貴方を、心からお待ちしています」とある。名文である。その全体が醸し出す雰囲気は、「楽しく、冗談の決意がいい。自信あふれる悪ふざけでありつつ媚びがなく、それでいて気ばらず、気どらず、フットワークがいい」とは嵐山光三郎の弁。
 なんだなんだどうしたんだと広告の下を見ると「今日は4月1日です」と遠慮がちな一文が入っていた。
 日本にもこんな洒落の利いた広告があったのだ。(週刊現代1990年4/28号より)



2003.3.24(月暦:二月二十三日)

エイプリル・フール小咄集

◆その1(ある年の4月1日の会話)
 及川「おい、大変だぞ、おまえの家が火事だぞ」
 鈴木「何いってんだい。今日はエイプリル・フール。そんなウソついたってお見通しだよ」
 及川「そういうと思って、今おれが火をつけてきたんだ」
◆その2(ある年の4月1日/夫婦の会話)
 夫「今日部長に会ったら、今度ぼくが係長になるって言われたよ」
 妻「それって、私がだまされてんの? それとも、あなたがだまされたの?」
 夫「・・・・・」
◆その3(ある男と女の会話)
 女「私、貴方といるときがいちばん幸せ。あなたは?」
 男「ぼくだって君といるときがいちばん幸せだよ。そして二番目はこうしてウソをつくことさ」
◆その4(酒場での会話)
 ママ「お酒めしあがらないんですか」
 客「はい、ぼく、酒はダメなんです」
 ママ「たばこは?」
 客「吸いません」
 ママ「それじゃあもっぱら女の方?」
 客「あまり興味ないですねえ」
 ママ「それじゃあ賭事は?」
 客「一切致しません」
 ママ「酒もたばこも、女、バクチ、みんなダメなら一体あなたの趣味は何なんですか?」
 客「ウソをつくことです」
◆その5(死の床にある落語家が弟子に向かって言った)
「おれは今までウソばかりついてきたが、おれももう長くはない。最後に本当のことをいおう。おれが死んだら裏庭を掘ってみて くれ。大切なものを壺に入れて埋めておいたんだ」
 師匠の死後、弟子はさっそく裏庭を掘り、壺を発見。だが中身は紙きれ一枚。『これがウソのつきおさめ』

2003.3.24(月暦:二月二十三日)

ウソのパラドックス

●「クレタ人はみなうそつきである」とクレタ人が言った。はてその真偽は?
●「今年のエイプリルフールは中止します」と発表したのは国際エイプリルフール協会だった。この話ホント?

2003.3.24(月暦:二月二十三日)

謎のTV番組『第三の選択』と火星人襲来のウソ

 エイプリルフールの大事件として、よく間違えられるのが、アメリカCBSラジオで放送されたH.G.ウエルズの『宇宙戦争』。このドラマは放送史上余りにも大きなパニックを創り出したことで有名である。
 内容はオーソン・ウエルズの解説とドラマ上の人物、プリンストン天文台のピアソン教授とのインタビューから始まり火星についての説明をしていたのだが、番組の途中で、臨時ニュースとして殺人光線を放ちながら火星人が襲来し、合衆国軍隊の防衛線を軽々と突破しニューヨーク市へと向かっていると流したのだ。これを聞いたリスナーが信じ込み、少なくとも100万人を超える人々が深刻なパニックに陥り、我先にとニューヨーク脱出を試みた、という話である。
 しかし、この番組は1938年10月30日に放送されたモノで、エイプリルフールとは全く関係がない。にも関わらず、エイプリルフールの話題として語られることが少なくない。思うに、イギリスのアングリアTVが1977年に制作した「Science Report」という科学ドキュメンタリー番組シリーズの一本『第三の選択』と混同しているのではないか、と思われる。
 ほかにも、この火星人襲来は模倣者が続出し、このネタをエイプリルフールに用に焼き直したことにも原因があったかも知れない。

 第三の選択はイギリス特有のエイプリルフール用に作られたモノで、ドラマによれば、

 1957年にアラバマ州ハンツビルで人類の存亡を賭けた非公式の国際会議が開かれ、現状では温室効果による地球温暖化により人類の滅亡は避けられないという合意に達し、3つの打開策が検討された。ひとつは大気中の炭酸ガス層を核爆弾で拡散させ強制的に放熱させるという方法(この案は、オゾン層などをも破壊してしまうために却下)。ふたつめの選択は地下都市の建造(これも非現実的と却下)。そして、第三の選択が人類の選ばれた一部を火星に移住させるという計画であった。
 一方、番組スタッフは、ジョドレル・バンクの電波天文台に勤める電波天文学の権威ウィリアム・バランタイン氏が、事故死する直前に友人の『ワールド・プレス・サービス』紙の編集者ロバート・ヘンリーに送った2インチテープを入手。
 ノイズだらけのテープを解析した結果、驚くべきことに、そこには人類初の火星着陸時の映像が写っていた。しかもそこには、火星生物らしきものまではっきりと写し出されていたという。
「1962年5月22日、もし後にこの計画が公になれば、この日は人類にとって記念すべき時になるだろう。我々は火星に到達した!」

 日本でも『木曜スペシャル』という番組で放映された、という話もあるようだが、実際に観ていないのでこれについての詳細は知らない。

2003.3.24(月暦:二月二十三日)
世間ジャーナリズムの反乱

 野次馬通信が蜂起した。資金は……ない。世間ジャーナリストが頼りだ。そば屋のおっちゃんや、井戸端(今はもうない)のおばちゃん、ヤンキーなお兄ちゃん、ヤンママに、小生意気なガキどもなどその辺どこにでもいる人たちが主役だ。もはやホワイトカラーなジャーナリストに世を語る資格はない!と過激な主宰者は口角泡をとばして……叫んではいなかったが、ニコニコ笑いながら宣たもうた。便りが頼りだ。みすず書房なる糞真面目な出版社だって「読者カード」で綴った本を売りに出して結構売れたりしている。受け売り、切り売りなジャーナリストはもはやいらない。などといいながら野次馬通信の面々は今日も酒場に消えた。おもしろい情報ちょうだい!エイプリルフールな世迷いごとでした。

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