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■江戸の粋かっぽれはいかが
■かっぽれを唄
・かっぽれの歌詞
・かっぽれの語源

「かっぽれ」を唄う

かっぽれの歌詞
(かっぽれ かっぽれ ヨーイトナ ヨイヨイ)
沖の暗いのに 白帆がぇ〜あ〜ェ見ゆる(ヨイトコリャサ)
あれは紀伊の国 ヤレコノコレワイサ(ヨイトサッサッサ) エーみかん船じゃえ(あ〜みかん船) みかん船じゃサーえ 見ゆる(ヨイトコリャサ)
あれは紀伊の国 ヤレコノコレワイノサ(ヨイトサッサッサ) エーみかん船じゃえ
(かっぽれ かっぽれ ヨーイトナ ヨイヨイ)
沖じゃわしがこと 鴎と云うがサ ヨ〜イヤサ(ヨイトコリャサ)
墨田川では ヤレコノコレワイサノサ(ヨイトサッサッサ) 都鳥(あ〜みやこどり)
都鳥サ ヨイヤサ(ヨイトコリャサ)
墨田川では ヤレコノコレワイサノサ(ヨイトサッサッサ) 都鳥
(サテかっぽれ かっぽれ ヨーイトナ ヨイヨイ)
ここはどこぞと 船頭しゅうに問えばサ ヨイヤサ(ヨイトコリャサ)
ここは屋島の ヤレコノコレワイノサ(ヨイトサッサッサ) 壇ノ浦じゃえ(あ〜壇ノ浦)
壇ノ浦じゃえ ヨイヤサ(ヨイトコリャサ)
ここは屋島のヤレコノコレワイノサ(ヨイトサッサッサ) 壇ノ浦じゃえ

奴さんの歌詞
エー 奴さん どちらへ行く(アーリャコリャコリャ)
旦那を お迎えに さっても寒いのに 共ぞろい
雪の降る日も 風の夜も サテお供はつらいネ
いつも奴さんは 高端折り(アリャセコリャセ)
それはそうかいなあえ
エー 奴さん ほんかいな(アーリャコリャコリャ)
きぬぎぬの 言葉も交わさず あすの夜は
裏の窓には わし一人サテあいずは良いか しゅびをようして
逢いに来たわいナ(アリャセコリャセ)
それもそうかいな アーコリャコリャ

伊勢音頭の歌詞
ヤットコセ ヨイヤナ アリャエアリャコリャワイ伊勢
この何でもを おせェ
伊勢のナ 豊国の かねかけ松は
ハァヨイヨイ
松はかれても ヤンレ 名を残す
ヤットコセ ヨイヤナ アリャエアリャコリャコレワイ伊勢
この何でもを おせェ

深川の歌詞
猪牙で行くのは深川通い
わたる桟橋の アレワイサノサ いそいそと
客の心は うわの空
飛んで行きたい アレワイサノサ 主のそば

坊さま二人で よし町通い
揚がるお茶屋は アレワイサノサ いそいそと
隣り座敷を眺むれば
差しつ押さえつ アレワイサノサ 狐けん


「かっぽれ」の語源

閑話休題
 この「かっぽれ」は「岡(傍)惚れ」がつまった言葉ともいわれています。
 岡は囲碁の岡目八目の「岡目」からでた言葉で、かたわらとかわきという意味ですが、他人にはわからない、ひそかにという意味も含んでいるとか。

  岡惚れも三年すれば情人の内
  相惚れ自惚れ方惚れ岡惚れ

の故事にもありますが、いわゆる片思いです。また、顔に惚れる、という意味もあります。いきなり顔に惚れるとは言い難いので、岡惚れとしゃれたとも。
 ただ、同じおかぼれでも「おかっぽれ」→「かっぽれる」と強調していうと、激しく恋慕するという意味となります。

 江戸時代にはこの囲碁用語<岡目八目(傍目八目)>の「岡(傍)」はかなり広範囲に使われていたようで、いわゆる岡場所、岡っ引きなどもこの岡目八目を語源としています。岡目の岡とは「傍(ほか)」という言葉が転じた言葉で、局外、部外者という意味です。囲碁で「岡目八目」といえば、実際の対局者より傍らで見ている局外者の方が先を読めるということです。これが転じて、当事者より傍観者の方が物事の真相や利害得失がはっきり解ることのたとえです。
   成程岡目八目とはいふが、自分の事は自分では知れねえもの(人情・恋の若竹-初)
 因みに 岡場所とは、正規に認められた吉原以外の遊郭を指しています。岡っ引きも奉行−与力−同心という組織外の者で同心から鑑札(免許証)と十手をあずかっている、いわば私設警察とでもいいましょうか。






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